2010年9月20日月曜日

混沌の極み —ギュスターブ・モロー《ユピテルとセメレ》ー

今回はこちらです!

装飾過多、神秘的、残忍、ごてごて、どろどろ、うじゃうじゃ・・・一言ではとても言い尽くせない景色である。

縦長の空間の中央に座しているのは大神ユピテル(ゼウス)。彼の左手の女性はセメレ。彼らの両脇には古代神殿風の柱がそびえ立つ。巨大な玉座の下は階段状になっており、そこには異形の者たちが所狭しと描き込まれている。

玉座のユピテルの頭から放たれる鮮烈な赤色と、背後に広がる青黒い空、そしてセメレの肌の白さが目に飛び込んでくる。

この絵は神話をもとにしている。
ユピテルはセメレという娘に心惹かれ、様々な姿に変身して娘に近づく。彼女はやがて神の子をみごもるが、ユピテルの正妻ヘラの嫉妬を買う。ヘラはセメレをそそのかし「本来の姿で自分の前に現れてほしい」とユピテルに懇願させる。これは、神の光(雷)の前では人間は灰になってしまうことを知っていたヘラの陰謀であった。最終的に、ユピテルはセメレの前に神の姿で現れ、セメレは灰となり、彼女の脇腹からディオニソスが産まれる。

この混沌とした世界はいったいなんだろうか。
ギリシャ神話を表すのに、このような表現をする必要はあるだろうか。
具体的に言えば、ここまで偏執狂的に細部を描き込む必要は・・・?

モロー美術館に行った。
この美術館は彼の家をそっくりそのまま美術館にしたもので、彼の書斎や寝室が再現してある。そこは東洋の磁器や骨董品、エキゾチックで怪しげな物品で溢れかえっていた。書棚には古典がずらりと並び、彼の博識ぶりが伺える。

展覧会には積極的に出品せず、制作依頼を受けた作品以外は自宅にひっそりと保管した。公的にはアカデミーの教授でありきわめて常識的な人物であった彼には、自分の描く不可思議で非キリスト教的とも言える想像上の世界が他人の目に晒されることはあまり気の進むことではなかったらしい。それにも関わらず、彼の絵画は知識人らの評判を呼び、ワイルドやプルーストが彼の作品を絶賛した。

モロー美術館には描きかけの絵が大量に展示してある。大きなキャンヴァスの白い部分に無数の花模様や渦巻きや摩訶不思議な文様が描き込まれている。

彼の頭の中を知りたいと思い始めたら、一生涯を費やさなくてはならないかもしれない。