2012年1月16日月曜日

天使はどっち? -オラース・ヴェルネ《死の天使》



久々の更新になってしまいました。
今回は、日本ではこれまであまり紹介されてこなかった作家の作品です。


暗い画面に白く浮かび上がる、美しい金髪の少女。
彼女がいるのはどうやら寝室のようで、ベッドから半ばからだを起こしています。
とっても美人だし、閉じられたまぶたに落ちる影がすごく儚げ。身につけている純白の衣装もまぶしい。綺麗な作品です。

でも、考えてみると不自然な体勢です。というかあり得ないことが起こっている。
彼女はベッドの中からすうっと上に持ち上げられているようにみえます。
そして少女の背後の、暗い色の大きな羽。
よく見ると、黒々とした、顔の見えない何者かがとりついていて、少女のからだを持ち上げているのです。顔が見えない分、さらに不気味です。布を剥ぎ取ったら、骸骨が出てくるかもしれません。

ここで、この作品は、現実に起こっていることを描くというよりは、寓意的に何かを表しているのだと気づきます。

少女は右手の人差し指で天をさし、胸元には十字架を身につけています。
傍らには懸命に祈る男性の姿。肩にかかった上着からは、昼夜問わず看病をし続けている様子が伝わってきます。
ベッドの向こう側には、開かれた聖書が載った書見台、イエス・キリストの肖像画、香炉。
非常にキリスト教色の強い作品です。

ここまでみれば、少女が臨終の時を迎え、今まさに天に召されようとしていることがはっきりとわかります。多少感傷的すぎる感じもしますが、とても美しい絵です。


この作品を描いたオラース・ヴェルネはフランス革命が始まった1789年に生まれ、おもに戦争画を描いた画家。風景画家クロード=ジョゼフ・ヴェルネの孫であり、父カルルも狩猟画や戦争画を描く画家でした。政治的な色彩が濃い主題を多くとりあげ、またアルジェリアを数回訪問して東方趣味の作品も制作しています。

・・・と画家の経歴を振り返ると、美しくセンチメンタルな本作品は、少し浮いているというか、特異な作品であるように感じます。

はっきりとはわかっていませんが、このような作品を描いたきっかけとして、自分の娘が若くして亡くなったことが関係していると考えられているようです。

もしこの少女がヴェルネの娘だとすると、手前の男性は画家自身の姿なのか?とか、娘さんは本当にこんなに綺麗だったのかな?とか、聖書はどこのページが開かれているのだろう?とか、いろいろもっと知りたくなってきます。

タイトルは《死の天使》。少女を連れ去ろうとする黒い羽の者がおそらく「死の天使」なのでしょう。
でも、羽は少女の背中から生えているようでもあり、そのため、まるで少女が真っ白な天使のようにも見えます。ヴェルネにとって、娘は天使のような存在だったのかもしれません。

宗教絵画において、「神に召される」瞬間が喜ばしげに描かれることが多いなかで、この作品が「祈りむなしく、美しい少女が死の天使に連れ去られる」ことを強調して描いている点に、娘を失った父親の悲しみや遣りきれなさが表現されているように感じます。

2010年9月20日月曜日

混沌の極み —ギュスターブ・モロー《ユピテルとセメレ》ー

今回はこちらです!

装飾過多、神秘的、残忍、ごてごて、どろどろ、うじゃうじゃ・・・一言ではとても言い尽くせない景色である。

縦長の空間の中央に座しているのは大神ユピテル(ゼウス)。彼の左手の女性はセメレ。彼らの両脇には古代神殿風の柱がそびえ立つ。巨大な玉座の下は階段状になっており、そこには異形の者たちが所狭しと描き込まれている。

玉座のユピテルの頭から放たれる鮮烈な赤色と、背後に広がる青黒い空、そしてセメレの肌の白さが目に飛び込んでくる。

この絵は神話をもとにしている。
ユピテルはセメレという娘に心惹かれ、様々な姿に変身して娘に近づく。彼女はやがて神の子をみごもるが、ユピテルの正妻ヘラの嫉妬を買う。ヘラはセメレをそそのかし「本来の姿で自分の前に現れてほしい」とユピテルに懇願させる。これは、神の光(雷)の前では人間は灰になってしまうことを知っていたヘラの陰謀であった。最終的に、ユピテルはセメレの前に神の姿で現れ、セメレは灰となり、彼女の脇腹からディオニソスが産まれる。

この混沌とした世界はいったいなんだろうか。
ギリシャ神話を表すのに、このような表現をする必要はあるだろうか。
具体的に言えば、ここまで偏執狂的に細部を描き込む必要は・・・?

モロー美術館に行った。
この美術館は彼の家をそっくりそのまま美術館にしたもので、彼の書斎や寝室が再現してある。そこは東洋の磁器や骨董品、エキゾチックで怪しげな物品で溢れかえっていた。書棚には古典がずらりと並び、彼の博識ぶりが伺える。

展覧会には積極的に出品せず、制作依頼を受けた作品以外は自宅にひっそりと保管した。公的にはアカデミーの教授でありきわめて常識的な人物であった彼には、自分の描く不可思議で非キリスト教的とも言える想像上の世界が他人の目に晒されることはあまり気の進むことではなかったらしい。それにも関わらず、彼の絵画は知識人らの評判を呼び、ワイルドやプルーストが彼の作品を絶賛した。

モロー美術館には描きかけの絵が大量に展示してある。大きなキャンヴァスの白い部分に無数の花模様や渦巻きや摩訶不思議な文様が描き込まれている。

彼の頭の中を知りたいと思い始めたら、一生涯を費やさなくてはならないかもしれない。

2010年8月21日土曜日

寂しそうだけど、幸せなのかもしれない —有元利夫《花降る森》—







初めに謝らせてください
アップした絵、小さいです。自分でもよく見えない。

今回は、いきなり日本の現代画家です。有元利夫の《花降る森》。





濃い灰色の空に、赤茶けた地面、枝だけになった木々が遠くまで連なって闇に消えていきます。暗い、暗い舞台を背景に立つのは、足先まで隠れる真っ白な服を着た女性(たぶん。もしくは天使?)。彼女の頭上からは、白に淡いピンクを差した花びらがはらはらと降りしきっている。

そして、彼女が両手で捧げ持っているのは、青い・・・透き通った・・・四角い・・・なんだろう。・・・。

それに、こんな暗い誰もいない森に花びらがひらひら舞っているのはどうしてかな。この絵は、何を言いたいんだろ。


有元利夫は、1946年に疎開先の岡山県津山市で生まれ、その後東京に移り住み台東区谷中で育ちました。東京芸大のデザイン科に入学し、日本美術の伝統的な技法から彫刻、版画まで幅広く学びますが、その後の彼の画風に最も大きな影響を与えたのが、芸大3年生になる前の春休み、初めての海外旅行で目にしたイタリアのフレスコ画だったそうです。

岩絵具や金箔といった日本画の画材を使って描く、天使や花びらや雲。38歳という若さで夭折するまで、有元氏の絵が大きく変わることはありませんでした。

明らかにイタリア・ルネサンスの影響をありありと画面に反映しながらも、尚且つ、唯一無二の独特の世界。
何が独特なのか。

・・・静けさ、かな、と思っています。
イタリアにはないと思う、この静謐な空気は。(フラ・アンジェリコにはある、と言う方もいるかもしれませんが。)


さて、絵に戻ります。問題は二つです。
四角い青い物体は何か?そして、この絵のメッセージは?

まず青いものについてですが、実はこうした透き通った四角い物体は、「布」状のものとして彼の作品にしばしば登場します。

青い薄布・・・まず連想したのは、空。でなければ、うーん、この人の心の窓?
この無表情の女性に関する情報は、白い服と青い布。白い服には清らかな存在という意味があるとして、青い布にはもっと精神的な部分が表されている気がします。もしくはこの女性を媒介として画家が伝えたいこと。

青い布に花びらが舞う。

たぶんこの絵は・・・、ものすごく寂しそうにも見えるけど、幸福な状態を表しているのだと思う。
画面いっぱいに喜びを感じられる絵ではない。でも暗闇の中に白く輝く柔らかな光には救いが感じられる。
他の誰も立ち入ることのできない自分という森の中に、一瞬かもしれないけれど、美しい花びらが舞うときもあるということなのかなぁ。



2010年8月16日月曜日

西洋と東洋の融合 —カスティリオーネ《十駿犬茹黄豹》—

2枚目はこの絵。ジュゼッペ・カスティリオーネの《十駿犬茹黄豹》。


この絵は台湾の故宮博物院に行ったときに特別展示されていたもの。想像していたよりもずっと大きくてびっくりした記憶があります。

カスティリオーネ(1688〜1766)はミラノ生まれのイエズス会宣教師。中国に渡り、清朝の宮廷画家として、康煕帝、雍正帝、乾隆帝に仕えた。中国名は「郎世寧」。

さてこのワンちゃんですが、すらっとした体躯にきれいな赤色のつやつやした毛並みで、見るからに血統のよさそうな感じがします。実際、満臣侍郎三和という人が皇帝に献上したという名犬だそうです。黄色い首輪をしていますね。

彼の視線の先をたどってみてください。一羽の黒い鳥が枝にとまっています。尻尾をちょんとあげて前のめりになって嘴を開いて、、、犬と会話しているようにしか見えない(笑)白いおなかがぷっくり膨らんでいて愛らしいですね。

そのまま視線を下げていくと、木の幹に沿って赤い花、もう少し下に薄紫の花びらを持つ花が咲いています。葉も花弁も細かく描き込まれて、色も濃淡を使い分けて繊細に表現しています。濃淡といえば、視線をまた木の上に戻していただくと、葉っぱの色にもその技法が使われていることがわかります。幹にも陰影が見られますし、よく見るとワンちゃんの体も濃淡を使い分けて立体的に描かれています。

それでは、背景を見てみましょう。

・・・あれ、何もない。
あんなに細かくディテール描いてたのに。疲れた・・・?

丘でしょうか、ラフな線が一本ふにゃふにゃと引かれているだけの地面の向こうには、何も描かれていません。無の空間。そして右上には、満州語、モンゴル語、中国語で書かれたこの絵の題名が浮かび上がっています。これは西洋絵画にはない、独特の構図の取り方です。

カスティリオーネは西洋と中国の両方の技法を習得し、中国に西洋画の技法を伝えた人物と言われています。このワンちゃんの絵は、掛幅というきわめて中国らしい画面の上に、西洋画と山水画の技法を使って描かれた珍しい作品です。つまり、犬や鳥や草木は西洋風、地面や構図や画材は中国風というわけです。

中国とヨーロッパがダイレクトに繋がり、宣教師画家という特殊な人々が宮廷で腕をふるうこの時代ならではの作風であると思うと、興趣が尽きません。

2010年8月12日木曜日

西洋人が想像する中国はこんなだった? ーフランソワ・ブーシェ《中国皇帝の謁見》ー

記念すべき第1作品目は、フランソワ・ブーシェの《中国皇帝の謁見》です。



18世紀フランスのロココ美術を代表する宮廷主席画家ブーシェが描いた、この絵。

辨髪姿で手をついてひざまずく者たち、学者風の老人、武器を持つ男たち、そしてひしめくように描かれた人々の視線の先にいるのは、女性に囲まれて玉座に座る皇帝。

見ているだけで、こんなに頭が混沌としてくる絵って、そうそうない。
中国人なのはわかる。それは、辨髪や、皇帝や、着ている服や、磁器なんかから推測できる。でも何かおかしい。。。

例えば、ここはどこ?外?内?
青空が見えるから外にいるのだろう。でも皇帝の背後に建っている奇妙な天蓋はなんだろう。玉座の下には階段があるし。皇帝は宮殿内におわすのではなく、庭に玉座を設置してわざわざ絨毯まで敷いて謁見の儀を執り行っているのか・・・。

よく見れば人々の顔も、様々な人種が混じっているように見えるし、変なとこだらけである。

それっぽい服装をした人と、それっぽいガラクタをとにかく集めまくった、暑苦しい絵。
これは、『中国のタピスリー』というシリーズ名で織られた、6枚のタピスリーのために描かれた10枚の下絵のうちの1枚。『中国のタピスリー』は、なんとルイ15世から乾隆帝への贈り物として織られました。

ルイ15世としては、中国皇帝の偉大さを讃える意味でこのようなデザインを要望したのでしょうね。乾隆帝はどういう気持ちでこのタピスリーを眺めたのか・・・。

ブーシェは一度も中国には訪れたことはありません。
この絵がむさ苦しくも、どこかファンタジックでお伽噺の挿絵のように見えるのは、これがブーシェの頭の中で膨らまされた「夢の国」だからでしょうか。

2010年8月11日水曜日

ブログを開設しました!

はじめまして。
『美術鑑賞ノオト』にようこそ。

このブログでは美術作品に関するコメントをひたすら綴っていきます。
作品に関する情報や典拠など、なるべく調べてからアップできるよう努力したいとは思っていますが、基本的には個人の感想文です。

洋の東西を問わず、いろいろな作品を取り上げていこうと思っていますが、自分の勉強になればいいなーと思いながら書いているので、自ずと研究関連の絵画作品になると思われます。

ここ、おかしいぞ、という点がありましたら、ガンガンご指摘ください。
何卒宜しくお願い致します。