2010年8月21日土曜日

寂しそうだけど、幸せなのかもしれない —有元利夫《花降る森》—







初めに謝らせてください
アップした絵、小さいです。自分でもよく見えない。

今回は、いきなり日本の現代画家です。有元利夫の《花降る森》。





濃い灰色の空に、赤茶けた地面、枝だけになった木々が遠くまで連なって闇に消えていきます。暗い、暗い舞台を背景に立つのは、足先まで隠れる真っ白な服を着た女性(たぶん。もしくは天使?)。彼女の頭上からは、白に淡いピンクを差した花びらがはらはらと降りしきっている。

そして、彼女が両手で捧げ持っているのは、青い・・・透き通った・・・四角い・・・なんだろう。・・・。

それに、こんな暗い誰もいない森に花びらがひらひら舞っているのはどうしてかな。この絵は、何を言いたいんだろ。


有元利夫は、1946年に疎開先の岡山県津山市で生まれ、その後東京に移り住み台東区谷中で育ちました。東京芸大のデザイン科に入学し、日本美術の伝統的な技法から彫刻、版画まで幅広く学びますが、その後の彼の画風に最も大きな影響を与えたのが、芸大3年生になる前の春休み、初めての海外旅行で目にしたイタリアのフレスコ画だったそうです。

岩絵具や金箔といった日本画の画材を使って描く、天使や花びらや雲。38歳という若さで夭折するまで、有元氏の絵が大きく変わることはありませんでした。

明らかにイタリア・ルネサンスの影響をありありと画面に反映しながらも、尚且つ、唯一無二の独特の世界。
何が独特なのか。

・・・静けさ、かな、と思っています。
イタリアにはないと思う、この静謐な空気は。(フラ・アンジェリコにはある、と言う方もいるかもしれませんが。)


さて、絵に戻ります。問題は二つです。
四角い青い物体は何か?そして、この絵のメッセージは?

まず青いものについてですが、実はこうした透き通った四角い物体は、「布」状のものとして彼の作品にしばしば登場します。

青い薄布・・・まず連想したのは、空。でなければ、うーん、この人の心の窓?
この無表情の女性に関する情報は、白い服と青い布。白い服には清らかな存在という意味があるとして、青い布にはもっと精神的な部分が表されている気がします。もしくはこの女性を媒介として画家が伝えたいこと。

青い布に花びらが舞う。

たぶんこの絵は・・・、ものすごく寂しそうにも見えるけど、幸福な状態を表しているのだと思う。
画面いっぱいに喜びを感じられる絵ではない。でも暗闇の中に白く輝く柔らかな光には救いが感じられる。
他の誰も立ち入ることのできない自分という森の中に、一瞬かもしれないけれど、美しい花びらが舞うときもあるということなのかなぁ。



2010年8月16日月曜日

西洋と東洋の融合 —カスティリオーネ《十駿犬茹黄豹》—

2枚目はこの絵。ジュゼッペ・カスティリオーネの《十駿犬茹黄豹》。


この絵は台湾の故宮博物院に行ったときに特別展示されていたもの。想像していたよりもずっと大きくてびっくりした記憶があります。

カスティリオーネ(1688〜1766)はミラノ生まれのイエズス会宣教師。中国に渡り、清朝の宮廷画家として、康煕帝、雍正帝、乾隆帝に仕えた。中国名は「郎世寧」。

さてこのワンちゃんですが、すらっとした体躯にきれいな赤色のつやつやした毛並みで、見るからに血統のよさそうな感じがします。実際、満臣侍郎三和という人が皇帝に献上したという名犬だそうです。黄色い首輪をしていますね。

彼の視線の先をたどってみてください。一羽の黒い鳥が枝にとまっています。尻尾をちょんとあげて前のめりになって嘴を開いて、、、犬と会話しているようにしか見えない(笑)白いおなかがぷっくり膨らんでいて愛らしいですね。

そのまま視線を下げていくと、木の幹に沿って赤い花、もう少し下に薄紫の花びらを持つ花が咲いています。葉も花弁も細かく描き込まれて、色も濃淡を使い分けて繊細に表現しています。濃淡といえば、視線をまた木の上に戻していただくと、葉っぱの色にもその技法が使われていることがわかります。幹にも陰影が見られますし、よく見るとワンちゃんの体も濃淡を使い分けて立体的に描かれています。

それでは、背景を見てみましょう。

・・・あれ、何もない。
あんなに細かくディテール描いてたのに。疲れた・・・?

丘でしょうか、ラフな線が一本ふにゃふにゃと引かれているだけの地面の向こうには、何も描かれていません。無の空間。そして右上には、満州語、モンゴル語、中国語で書かれたこの絵の題名が浮かび上がっています。これは西洋絵画にはない、独特の構図の取り方です。

カスティリオーネは西洋と中国の両方の技法を習得し、中国に西洋画の技法を伝えた人物と言われています。このワンちゃんの絵は、掛幅というきわめて中国らしい画面の上に、西洋画と山水画の技法を使って描かれた珍しい作品です。つまり、犬や鳥や草木は西洋風、地面や構図や画材は中国風というわけです。

中国とヨーロッパがダイレクトに繋がり、宣教師画家という特殊な人々が宮廷で腕をふるうこの時代ならではの作風であると思うと、興趣が尽きません。

2010年8月12日木曜日

西洋人が想像する中国はこんなだった? ーフランソワ・ブーシェ《中国皇帝の謁見》ー

記念すべき第1作品目は、フランソワ・ブーシェの《中国皇帝の謁見》です。



18世紀フランスのロココ美術を代表する宮廷主席画家ブーシェが描いた、この絵。

辨髪姿で手をついてひざまずく者たち、学者風の老人、武器を持つ男たち、そしてひしめくように描かれた人々の視線の先にいるのは、女性に囲まれて玉座に座る皇帝。

見ているだけで、こんなに頭が混沌としてくる絵って、そうそうない。
中国人なのはわかる。それは、辨髪や、皇帝や、着ている服や、磁器なんかから推測できる。でも何かおかしい。。。

例えば、ここはどこ?外?内?
青空が見えるから外にいるのだろう。でも皇帝の背後に建っている奇妙な天蓋はなんだろう。玉座の下には階段があるし。皇帝は宮殿内におわすのではなく、庭に玉座を設置してわざわざ絨毯まで敷いて謁見の儀を執り行っているのか・・・。

よく見れば人々の顔も、様々な人種が混じっているように見えるし、変なとこだらけである。

それっぽい服装をした人と、それっぽいガラクタをとにかく集めまくった、暑苦しい絵。
これは、『中国のタピスリー』というシリーズ名で織られた、6枚のタピスリーのために描かれた10枚の下絵のうちの1枚。『中国のタピスリー』は、なんとルイ15世から乾隆帝への贈り物として織られました。

ルイ15世としては、中国皇帝の偉大さを讃える意味でこのようなデザインを要望したのでしょうね。乾隆帝はどういう気持ちでこのタピスリーを眺めたのか・・・。

ブーシェは一度も中国には訪れたことはありません。
この絵がむさ苦しくも、どこかファンタジックでお伽噺の挿絵のように見えるのは、これがブーシェの頭の中で膨らまされた「夢の国」だからでしょうか。

2010年8月11日水曜日

ブログを開設しました!

はじめまして。
『美術鑑賞ノオト』にようこそ。

このブログでは美術作品に関するコメントをひたすら綴っていきます。
作品に関する情報や典拠など、なるべく調べてからアップできるよう努力したいとは思っていますが、基本的には個人の感想文です。

洋の東西を問わず、いろいろな作品を取り上げていこうと思っていますが、自分の勉強になればいいなーと思いながら書いているので、自ずと研究関連の絵画作品になると思われます。

ここ、おかしいぞ、という点がありましたら、ガンガンご指摘ください。
何卒宜しくお願い致します。